石田三成の実像 3922 谷徹也氏の講演会「石田三成と古田織部」2 三成の丹波代官説2 一つ目は柏原八幡神社文書の… 7日に京都アスキーで行われた谷徹也氏の講演会「石田三成と古田織部」の中で、三成が丹波で代官を務めていた時期があったという新説について、その根拠を二つ挙げられていましたが、その一つは丹波氷上郡の柏原八幡神社に残る文書の記述です。 すなわち、文禄4年8月2日条に、歴代の亀山城主や検地奉行の名が記されていますが、その中に、「小吉少将殿・石… コメント:0 2025年03月27日 #丹波代官説 #石田三成 #嶋左近 #羽柴小吉秀勝 続きを読むread more
石田三成の実像 3921 谷徹也氏の講演会「石田三成と古田織部」1 三成の丹波代官説1 7日に京都アスキーで行われた谷徹也氏の講演会「石田三成と古田織部」では、二人の関係を四期に分けて史料をもとに具体的に述べられていましたが、それについては後述します。一番興味を惹かれたのは、三成が丹波で代官を務めていた時期があったという説について、その根拠を挙げながら説明されていたことでした。 三成が天正13年(1585)に水口城主に… コメント:0 2025年03月26日 #石田三成 #古田織部 #丹波代官説 続きを読むread more
石田三成の実像 3920 白峰旬氏「『山へ取上候』の意味についてー 関ヶ原本戦は決戦(決勝会戦)だったのか追撃戦だ… 白峰旬氏の「『山へ取上候』の意味についてー 関ヶ原本戦は決戦(決勝会戦)だったのか追撃戦だったのかー」の中で、慶長5年9月20日付の近衛信尹宛近衛前久書状の「山へ取上候」の意味について、「山へあがった」という文字的な解釈の他に、もう一つ別の「山の上へ逃げた」という解釈ができ、関ヶ原の戦いは一方的な追撃戦であったという見方が示されています… コメント:0 2025年03月25日 #石田三成 #徳川家康 #関ヶ原の戦い #追撃戦 続きを読むread more