平野仁也氏の講演会「関ヶ原前哨戦ー尾張・美濃・伊勢の動向ー」・平野氏と小和田哲男氏による対談1 家康対三成という従来通りの捉え方
関ヶ原で平野仁也氏の講演会「関ヶ原前哨戦ー尾張・美濃・伊勢の動向ー」及び平野氏と小和田哲男氏による対談「関ヶ原合戦への道ー伊勢・美濃の戦いー」が行われ、関ヶ原前哨戦の状況がよくわかりました。伊勢は小領主が多く、どちらに付いたら生き残れるか考えていたこと、美濃は三成らがどんどん追い込まれていったことなど。
ただ、関ヶ原の戦いを通説通り家康対三成の戦いという捉え方をされていたことが残念に思いました。白峰旬氏の指摘透り、家康弾劾状である「内府ちかひの条々」の公布によって、二大老・四奉行による新たな豊臣公儀が成立していたのであって、三成個人が家康と戦ったわけではありません。平野氏は三成が勝っていたら、中堅大名の身分で、論功行賞ができていたか疑問だという見解を示されていましたが、もし新しい豊臣方が勝利していたら、論功行賞は毛利輝元と宇喜多秀家が行っていたのではないでしょうか。この点について、白峰氏は、国土領有権に関しては二大老の専管事項だったと指摘されています。
ただ、関ヶ原の戦いを通説通り家康対三成の戦いという捉え方をされていたことが残念に思いました。白峰旬氏の指摘透り、家康弾劾状である「内府ちかひの条々」の公布によって、二大老・四奉行による新たな豊臣公儀が成立していたのであって、三成個人が家康と戦ったわけではありません。平野氏は三成が勝っていたら、中堅大名の身分で、論功行賞ができていたか疑問だという見解を示されていましたが、もし新しい豊臣方が勝利していたら、論功行賞は毛利輝元と宇喜多秀家が行っていたのではないでしょうか。この点について、白峰氏は、国土領有権に関しては二大老の専管事項だったと指摘されています。
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