石田三成の実像 4163 白峰旬氏「『秀頼様』という表記についてープリンスとしての豊臣秀頼ー」25 二大老と四奉行の連署状2 国土領有権に関しては二大老の専管事項
白峰旬氏「『秀頼様』という表記についてープリンスとしての豊臣秀頼ー」の中で、「(慶長5年)8月4日付松井康之宛長束正家・石田三成・増田長盛・徳善院玄以連署状写」(『松井文庫所蔵古文書調査報告書』【443号文書】)、「(慶長5年)8月4日付松井康之宛毛利輝元・宇喜多秀家連署状写」(【444号文書】)が取り上げられ、その考察の続きですが、次のように指摘されています。
「二大老(毛利輝元・宇喜多秀家)が松井康之に対して、速見郡の明け渡しを命じた、ということは、国土領有権(秀頼の国土領有権行使を代行)に関することなので、四奉行(長束正家・石田三成・増田長盛・徳善院玄以)とは別に連署状を出したのであろう。
つまり、国土領有権に関しては、四奉行ではなく、二大老の専管事項と見ることができる。よって、二大老(毛利輝元・宇喜多秀家)の連署状(【444号文書】)と四奉行(長束正家・石田三成・増田長盛・徳善院玄以)の連署状(【443号文書】)が別々に出され、前者は短文であるのに対して、後者は長文であることから、後者は前者の副状的内容と見なされる」と。
「国土領有権に関しては、四奉行ではなく、二大老の専管事項と見ることができる」という指摘は重要です。二大老と四奉行の間で、役割分担が行われていたことを示すものです。まず二大老の名で、速見郡と木付城の明け渡しを命じ、改めて四奉行が詳しいことを述べるという方法を取っているわけです。これは秀吉が朱印状で命令を伝え、具体的なことを取次・奉行が副状・添状で示すという方式を踏襲しているものと思われます。秀吉は摂関家の豊臣宗家を頂点とする武家の家格制度を新たに作りましたが、大老の毛利輝元や宇喜多秀家は清華成大名に任じられたのに対して、三成ら奉行衆はそれより二段階下の諸大夫成になっています。秀頼に代わって大名家(この場合は城代ですが)に命令を伝える場合、やはり家格の高い大老から伝える必要があったのではないでしょうか。とりわけ国土領有権に関しての場合は。二大老四奉行制による新たな豊臣公儀が発足したことを始まったことを知らせ、その命令に従うよう促す意味合いもあったと思われます。
なお、上記の四奉行連署状の中では、細川忠興の居城である丹後田辺城の落城が近いという具体的なことも記し、細川家の重臣である松井に早く城を明け渡すよう重ねて命じています。
「二大老(毛利輝元・宇喜多秀家)が松井康之に対して、速見郡の明け渡しを命じた、ということは、国土領有権(秀頼の国土領有権行使を代行)に関することなので、四奉行(長束正家・石田三成・増田長盛・徳善院玄以)とは別に連署状を出したのであろう。
つまり、国土領有権に関しては、四奉行ではなく、二大老の専管事項と見ることができる。よって、二大老(毛利輝元・宇喜多秀家)の連署状(【444号文書】)と四奉行(長束正家・石田三成・増田長盛・徳善院玄以)の連署状(【443号文書】)が別々に出され、前者は短文であるのに対して、後者は長文であることから、後者は前者の副状的内容と見なされる」と。
「国土領有権に関しては、四奉行ではなく、二大老の専管事項と見ることができる」という指摘は重要です。二大老と四奉行の間で、役割分担が行われていたことを示すものです。まず二大老の名で、速見郡と木付城の明け渡しを命じ、改めて四奉行が詳しいことを述べるという方法を取っているわけです。これは秀吉が朱印状で命令を伝え、具体的なことを取次・奉行が副状・添状で示すという方式を踏襲しているものと思われます。秀吉は摂関家の豊臣宗家を頂点とする武家の家格制度を新たに作りましたが、大老の毛利輝元や宇喜多秀家は清華成大名に任じられたのに対して、三成ら奉行衆はそれより二段階下の諸大夫成になっています。秀頼に代わって大名家(この場合は城代ですが)に命令を伝える場合、やはり家格の高い大老から伝える必要があったのではないでしょうか。とりわけ国土領有権に関しての場合は。二大老四奉行制による新たな豊臣公儀が発足したことを始まったことを知らせ、その命令に従うよう促す意味合いもあったと思われます。
なお、上記の四奉行連署状の中では、細川忠興の居城である丹後田辺城の落城が近いという具体的なことも記し、細川家の重臣である松井に早く城を明け渡すよう重ねて命じています。
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