大河ドラマ探訪480 「豊臣兄弟!」4 「なか」のはからいで秀長は武士に・後に人質となって家康の元に行く「なか」・この作戦は失敗では?

 大河ドラマ「豊臣兄弟!」の中で、秀長(小一郎)が秀吉(藤吉郎)に誘われて武士になると決断したのは、母親の「なか」(大政所)の言葉も大きいという描き方がされていました。秀吉がかつて村を出る時、盗みを働いたことを、秀長は許せませんでしたが、「なか」がそれは高熱を発していた秀長に薬を調達するためだったと嘘を言い、その言葉を信じた秀長が秀吉のことを見直し、秀吉に付いていくことを決めたという展開になっていました。秀吉の姉の「とも」は後で母の「なか」に対して、「母さんは藤吉郎思いだから」と言いますが、「なか」は「ああでも言わないと小一郎は決断できない」と答えていました。いかに子供のことが理解できている母親であったかがうかがえる話になっていました。
 秀吉は後年、小牧・長久手の戦いの際、妹の「あさひ」を家康に嫁がせますが、それでも家康は上洛しないので、秀吉はさらに母親を家康のもとに送り込みます。それでようやく家康は上洛し、秀吉に臣従します。秀吉の作戦が成功したわけですが、しかしそのために妹のみならず、母親まで政争の道具として扱うというのは、感心しません。戦国時代は人質は当たり前でしたから、ごく普通には行われていたことですが。母親も秀吉の頼みとあって、仕方なく家康のもとに行ったのだと思われますが、家康の臣従には成功したとは言え、後の展開から考えれば、この作戦は失敗だったのではないでしょうか。
 家康は「あさひ」との結婚によって、秀吉の親戚大名になりますから、豊臣政権にとって家康は一目置かれた存在になっています。家康は順調に官位を上げていますし、秀次事件の後、家康は政権に参画し、秀吉の死後の直前から大老に抜擢されています。そういうことがあったからこそ、家康は秀吉没後、後継者争いの第一人者の位置を占めることができ、天下人への道を歩むことができたわけです。 

この記事へのコメント