大河ドラマ探訪479 「豊臣兄弟!」3 秀吉・秀長の母・姉妹が門出を祝う鐘をつく場面・後の悲劇を予感?
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第二回のラストで、秀吉(藤吉郎)と秀長(小一郎)が清洲に向けて出立する際(直も伴って)、母親の「なか」姉の「とも」、妹の「あさひ」が一緒に願いの鐘をつく場面があり、印象的で心温まりましたが、複雑な気もしました。たびたび村が盗賊に襲われ、命さえ失いかねない貧しい暮らしを送っている彼女らにとって、二人は希望の星であり、二人の活躍や出世を願っていることがわかりますし、秀吉一家の仲の良さがうかがえました。しかし、この場面の明るさは、後の時代の悲劇を予感しているようでもあり、その点が気になりました。
秀吉の家族の中で一番の被害者は、妹の「あさひ」ではないでしょうか。この点について、大阪城天守閣発行の図録「特別展 戦国の女たち」の旭姫についての解説の中で、次のように記されています。
「尾張の地侍佐治日向守(一説には副田甚兵衛とも)と結婚していたが、天正12年(1584)の小牧長久手合戦後、徳川家康を懐柔して服従させようとしていた秀吉によってむりやり離縁させられ、同14年家康にとって二度目の正室にさせられた。家康とともにはじめ浜松、のち駿府に移ったが、同16年に上洛して以後家康の元に戻ることなく、2年後に病死した」と。
旭姫は48歳で亡くなっていますが、政略結婚の道具にさせられ、不本意で不幸な人生を送ったと言えます。このあたり、ドラマでどのように描かれるのでしょうか。
同図録には、秀吉の母親の「なか」については、「通称の『なか』という名は、江戸後期の『絵本太閤記』の創作であろう」と記されています。われわれは普通に「なか」と思い込んでいますが、後世の創作であり、本当の名前はわからないわけです。秀吉の母親が亡くなったのは、旭姫が没した後ですから、娘の不幸な人生をまざまざと見たことになります。
姉の「とも」については、同図録には記載がありませんが、彼女が生んだ長男の秀次は、後に関白になるものの、秀次事件の際に切腹し、秀次の妻子は斬首となっていますから、彼女も地獄を味わったわけで、後半生は不幸だ ったと言えます。
彼女らのそういう後の姿が思い浮かび、第二回のラストの描き方に複雑な思いがしたわけです。
秀吉の家族の中で一番の被害者は、妹の「あさひ」ではないでしょうか。この点について、大阪城天守閣発行の図録「特別展 戦国の女たち」の旭姫についての解説の中で、次のように記されています。
「尾張の地侍佐治日向守(一説には副田甚兵衛とも)と結婚していたが、天正12年(1584)の小牧長久手合戦後、徳川家康を懐柔して服従させようとしていた秀吉によってむりやり離縁させられ、同14年家康にとって二度目の正室にさせられた。家康とともにはじめ浜松、のち駿府に移ったが、同16年に上洛して以後家康の元に戻ることなく、2年後に病死した」と。
旭姫は48歳で亡くなっていますが、政略結婚の道具にさせられ、不本意で不幸な人生を送ったと言えます。このあたり、ドラマでどのように描かれるのでしょうか。
同図録には、秀吉の母親の「なか」については、「通称の『なか』という名は、江戸後期の『絵本太閤記』の創作であろう」と記されています。われわれは普通に「なか」と思い込んでいますが、後世の創作であり、本当の名前はわからないわけです。秀吉の母親が亡くなったのは、旭姫が没した後ですから、娘の不幸な人生をまざまざと見たことになります。
姉の「とも」については、同図録には記載がありませんが、彼女が生んだ長男の秀次は、後に関白になるものの、秀次事件の際に切腹し、秀次の妻子は斬首となっていますから、彼女も地獄を味わったわけで、後半生は不幸だ ったと言えます。
彼女らのそういう後の姿が思い浮かび、第二回のラストの描き方に複雑な思いがしたわけです。
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