石田三成の実像 4140 NHKの番組「英雄たちの選択 秀吉と秀長~激突!豊臣チルドレンの関ヶ原~」1 

 NHKの番組「英雄たちの選択 秀吉と秀長~激突!豊臣チルドレンの関ヶ原~」の中で、関ヶ原の戦いは豊臣チルドレンたちが敵と味方に別れて戦い、豊臣政権は短命に終わってしまったが、豊臣政権の凋落はその9年前の豊臣秀長の死によって始まっていたという見解が紹介されていました。この点について、平山優氏は、豊臣政権が秀長の死によって急激にきしみ出すと言っても過言ではなく、もし秀長が健在であれば、家康の出番はなかった可能性があると述べられていました。この見解は、NHKの番組「豊臣政権サミット2026」の中で、豊臣政権短命の原因を、秀長の死に求めた黒田基樹氏の見解と共通しているように思えます。
 「英雄たちの選択」の中で、磯田道史氏は、文禄・慶長の役が豊臣政権の崩壊を招いたと考えるのが一般的だという意味のことをおっしゃっていましたが、秀長は朝鮮出兵に反対の立場でしたから、確かにもし秀長が長生きしていれば、秀吉は朝鮮出兵をしなかった可能性はあります。そういう意味では、秀長の死が豊臣政権短命の原因と言えなくもありません。しかし、政権運営は組織で行うものですから、個人の力量だけに頼るものではないような気もしますが、この問題は改めて考えたいと思います。
 関ヶ原の戦いの原因を、文禄・慶長の役の不満に求める考えは、以前からありました。この点について、笠谷和比古氏が「秀吉の野望と誤算」(文英堂)の中で、次のように指摘されています。
 「秀吉の朝鮮出兵がもたらした様々な政治的矛盾は、秀吉没後の七将蜂起と石田三成襲撃事件、そして関ヶ原合戦へと展開してゆくのであり、豊臣政権はそれによってその崩壊の歩みを早めていくことになった」と。
 こういう見方は、学界ではすでに定着しているのではないでしょうか。もっとも、七将による石田三成襲撃事件は、水野伍貴氏や白峰旬氏によって、襲撃事件ではなく、三成に対する訴訟騒動であったという見解を示されています。番組では、三成襲撃事件として紹介されていましたが。また番組では、七将には現地に行かなかった三成らに対する不満があったというふうに解説されていましたが、三成は慶長の役の際は渡海していなかったものの、文禄の役には現地に赴き、侵略の不毛さをつぶさに見ていますし、その結果一刻も早く戦いを終わらせようとして和平交渉に全力を注いでいます。現地武将たちの政権への不満があったのは事実ですが。 

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