石田三成の実像 4119 白峰旬氏「大谷吉継の南宮山下布陣説についてー『青野ヵ原』合戦の実在性証明へのプロセスとして-」2 根拠は藤堂高虎の家臣の家乗(家の記録)2

 白峰旬氏の「大谷吉継の南宮山下布陣説についてー『青野ヵ原』合戦の実在性証明へのプロセスとして-」(『國史纂集』第27号)の中で、吉継は南宮山下に布陣したという新たな見解が示されていますが、その根拠として取り上げられているのが、関ヶ原の戦いに参戦した藤堂高虎の家臣である藤堂新七郎の家乗(家の記録)です。その内容については、拙ブログで前述しましたが、それについて白峰氏は次のように考察されています。
 「『南宮山下』に大谷吉継が陣地を構築していて、その陣地の虎口(出入り口)を『城戸口』、『北の口』と表現しているのであろう」
 「藤堂新七郎は、実際に大谷吉継の軍勢と戦ったのであるから、戦闘があった場所を間違えるとは考えにくい。よって、関ヶ原本戦における大谷吉継の南宮山下布陣説は、かなり信憑性が高いと思われる」と。
 この史料は、通説とはあまりに違うということで、研究者の間であまり注目されてこなかったのではないでしょうか。それに関連して、白峰氏の同書の中で、江戸時代後期に成立した「高山公実録」に、この藤堂新七郎の家乗の記載について「南宮山を大谷吉継の陣所とするのは誤りである」との指摘があることが記されています。白峰氏はこの指摘に対して、「『高山公実録』の編纂者によるコメントであって、同時代の指摘ではない」との見解を示されています。もっとも、「高山公実録」のこの指摘が、研究者に影響を与え、藤堂新七郎の家乗の記載は今まで顧みられなかったような気もします。

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