祝・坂口志文氏と北川進氏のノーベル賞受賞3 阪大の在籍者でノーベル賞を受賞したのは坂口氏が初めて・湯川秀樹氏は?
ノーベル医学・生理学賞を受賞した坂口志文氏は、京都新聞によると、京大の研究者として12年間にわたり基礎研究に没頭し、その後阪大で応用研究に昇華したということです。阪大で研究が大きく実を結び、制御性T細胞の発見につながったのでしょう。
阪大の在籍者でノーベル賞を受賞したのは坂口氏が初めてだということですが、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏は、受賞した時は京大教授になっていたものの、中間子理論を発表した直後に阪大の助教授になっていますから、阪大ゆかりの研究者でもあると言えるのではないでしょうか。少なくとも、私が現役の時に阪大の理学部物理学科を受験した折には、湯川博士が教鞭をとった大学であると認識していました。当時は湯川博士に憧れを抱いていました。受験は、肝心の物理の新傾向の問題が全く解けなかったということもあって不合格になり、浪人して文転しましたが。しかし、最初は入りたかった大学であるだけに愛着があり、阪大関係者の受賞は非常に喜ばしく嬉しいことです。


写真は大阪大学中之島センターを4年前に撮ったものです。私が大学受験した時、阪大の本部は中之島にあり、この付近で合格発表が行われました。1970年のことで、吹田で大阪万博が開幕する直前のことでした。
阪大の在籍者でノーベル賞を受賞したのは坂口氏が初めてだということですが、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏は、受賞した時は京大教授になっていたものの、中間子理論を発表した直後に阪大の助教授になっていますから、阪大ゆかりの研究者でもあると言えるのではないでしょうか。少なくとも、私が現役の時に阪大の理学部物理学科を受験した折には、湯川博士が教鞭をとった大学であると認識していました。当時は湯川博士に憧れを抱いていました。受験は、肝心の物理の新傾向の問題が全く解けなかったということもあって不合格になり、浪人して文転しましたが。しかし、最初は入りたかった大学であるだけに愛着があり、阪大関係者の受賞は非常に喜ばしく嬉しいことです。
写真は大阪大学中之島センターを4年前に撮ったものです。私が大学受験した時、阪大の本部は中之島にあり、この付近で合格発表が行われました。1970年のことで、吹田で大阪万博が開幕する直前のことでした。
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