石田三成の実像 3920 白峰旬氏「『山へ取上候』の意味についてー 関ヶ原本戦は決戦(決勝会戦)だったのか追撃戦だったのかー」8「山の上に逃げた」という解釈7 一方的な追撃戦だったという見方6
白峰旬氏の「『山へ取上候』の意味についてー 関ヶ原本戦は決戦(決勝会戦)だったのか追撃戦だったのかー」の中で、慶長5年9月20日付の近衛信尹宛近衛前久書状の「山へ取上候」の意味について、「山へあがった」という文字的な解釈の他に、もう一つ別の「山の上へ逃げた」という解釈ができ、関ヶ原の戦いは一方的な追撃戦であったという見方が示されていますが、その見方についての白峰氏の考察の続きです。
「ちなみに、陣立書は一次史料であるが、布陣図は後世の二次史料しか存在しないので、史料的価値としては当然、陣立書の方が史料的価値が高い。陣立書は各軍勢が行軍する(つまり動態)ことを前提に作成されているが(端的に言えば、主君から諸将に対しての行軍命令を可視化した命令書)、布陣図の評価で危険なのは、各軍勢が布陣したまま止まっている(つまり静態)ように錯覚して見えてしまう点(行軍するように見えない点)である。その点は、関ヶ原本戦を考察するうえでも留意すべきであり、特に野戦の場合、諸将の軍勢は戦場に固定・静止しているわけではないので(索敵行動をおこない敵の軍勢に遭遇して戦うまでは常に前進していると想定すべきであろう)、二次史料の布陣図ではなく一次史料の陣立書をもとに動態としての行軍行動(行軍の導線)を考えるべきである」と。
「大関家文書」に残る関ヶ原の戦いにおける家康方軍勢の陣立書の史料的な価値の高さを論じられているわけですが、今までこの陣立書について研究者の間で真剣に論議されたことはないのではないでしょうか。少なくとも今までの関ヶ原本などでこの陣立書が取り上げられていたという記憶はありません。それに対して、関ヶ原の戦いの布陣図は、たいていの関ヶ原本にはまことしやかに掲載されています。今残っている布陣図は「後世の二次史料」だと指摘されていますが、白峰氏は「新解釈 関ヶ原合戦の真実」の中で、現在、普通に流布している関ヶ原の戦いの布陣図は、明治時代に参謀本部が編纂した「日本戦史」の布陣図に基づくもので、参謀本部が独自に作成したオリジナルなものであり、そこには歴史的根拠がないと指摘されています。また江戸時代に作られた布陣図も、「後世の二次史料」で「徳川方の視点から戦勝記念的感覚で描かれたもの」だと指摘されています。
「二次史料の布陣図ではなく一次史料の陣立書をもとに動態としての行軍行動(行軍の導線)を考えるべきである」という白峰氏の見解ももっともで、確かにそういう視点が今までの研究に欠けていたのではないでしょうか。今後、こういう視点からの研究が進み、関ヶ原の戦いの実態解明につながることを願ってやみません。
「ちなみに、陣立書は一次史料であるが、布陣図は後世の二次史料しか存在しないので、史料的価値としては当然、陣立書の方が史料的価値が高い。陣立書は各軍勢が行軍する(つまり動態)ことを前提に作成されているが(端的に言えば、主君から諸将に対しての行軍命令を可視化した命令書)、布陣図の評価で危険なのは、各軍勢が布陣したまま止まっている(つまり静態)ように錯覚して見えてしまう点(行軍するように見えない点)である。その点は、関ヶ原本戦を考察するうえでも留意すべきであり、特に野戦の場合、諸将の軍勢は戦場に固定・静止しているわけではないので(索敵行動をおこない敵の軍勢に遭遇して戦うまでは常に前進していると想定すべきであろう)、二次史料の布陣図ではなく一次史料の陣立書をもとに動態としての行軍行動(行軍の導線)を考えるべきである」と。
「大関家文書」に残る関ヶ原の戦いにおける家康方軍勢の陣立書の史料的な価値の高さを論じられているわけですが、今までこの陣立書について研究者の間で真剣に論議されたことはないのではないでしょうか。少なくとも今までの関ヶ原本などでこの陣立書が取り上げられていたという記憶はありません。それに対して、関ヶ原の戦いの布陣図は、たいていの関ヶ原本にはまことしやかに掲載されています。今残っている布陣図は「後世の二次史料」だと指摘されていますが、白峰氏は「新解釈 関ヶ原合戦の真実」の中で、現在、普通に流布している関ヶ原の戦いの布陣図は、明治時代に参謀本部が編纂した「日本戦史」の布陣図に基づくもので、参謀本部が独自に作成したオリジナルなものであり、そこには歴史的根拠がないと指摘されています。また江戸時代に作られた布陣図も、「後世の二次史料」で「徳川方の視点から戦勝記念的感覚で描かれたもの」だと指摘されています。
「二次史料の布陣図ではなく一次史料の陣立書をもとに動態としての行軍行動(行軍の導線)を考えるべきである」という白峰氏の見解ももっともで、確かにそういう視点が今までの研究に欠けていたのではないでしょうか。今後、こういう視点からの研究が進み、関ヶ原の戦いの実態解明につながることを願ってやみません。
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