大河ドラマ探訪520「光る君へ」24 淡路守に決まっていた藤原為時が、越前守への栄転が決まった経緯をめぐって

 「光る君へ」では、除目で淡路守に決まっていた藤原為時(まひろ〔紫式部〕の父)が、漢語ができることを評価され、日本に来て越前に滞在している宋人と交渉するため、越前守への栄転が決まったというふうに描かれており、それはおおむね史実に即したものでした。このことは、拙ブログ記事で前述したように、福嶋昭治氏の講演会「紫式部と源氏物語」の中で、当時の史料(「長徳2年大間書(おおまがき)」「日本紀略」「百練抄」「本朝麗藻」)や「今鏡」「今昔物語集」の記述をもとにその経緯が明らかにされていました。もっとも、「光る君へ」では、そういう変更が行われた背景には、まひろの尽力があり、藤原道長とかねてより恋愛な関係があったからだという描き方がされていましたが、これはドラマ的な脚色です。
 また最初越前守になる予定だった源国盛について、「光る君へ」では、頼りない人物として描かれていましたが、「今昔物語集」には、道長が為時の漢詩を見ていたく感じ入って、自分の乳母子である国盛に辛抱してもらって、為時を越前守にしたということが記されていることが、福嶋氏の講演会で触れられていました。国盛は道長の乳母子ですから、その力買っていた買っていたと見るのが妥当ではないでしょうか。
 「光る君へ」では、まひろが為時の名で嘆きの漢詩を書き送り、それを読んだ道長がまひろが書いたことを知って、道長がその漢詩を一条天皇に献上し、天皇が漢籍に通じている為時を越前守に任命するというふうに描かれていました。この点、「今昔物語集」では、一条天皇は寝てしまっていてその漢詩を御覧にならなかったと書かれており、越前守任命は道長の一存だったというふうな描き方がされています。むろん、「今昔物語集」も物語ですから、脚色されている部分もありますから、そこに書かれていることは事実とは言えませんが。
 福嶋氏は、越前守と淡路守は同じ国守であっても格の違いが歴然としてあると説明されていましたが、「光る君へ」の中でも、その格の違いについて触れられていました。
 

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