自作小説「守護神」50 第13章(その5) ※注 小説の時代設定は1970年代。

「一応事情を説明しておこう。俺がこの部屋に来たら、先客がいたんだ。それがこの君だ。何か借りたいものがあるということだったが、何だったかな」 
「いえなに、定規をちょっと貸してもらいたいと思ったんで。長いのでも短いのでもいいんですが」    
 島津は咄嗟に思いつくまま言った。木村は何も言わず、机の一番上の引き出しから三十センチ差しを取り出すと、島津に手渡した。
「すぐに返します」
 島津は木村の顔をじろじろと見ながら言った。木村はその意味ありげな視線を避けて答えた。    
「いつでもいいよ」
「今度は俺の番だ。今朝食堂で会った時、言えばよかったんだが、忘れていてな。例によって金の無心なんだ。五千円くらい貸してくれないか。家からの仕送りはまだだし、バイト料も週末しかもらえないんだ。木村がいつも後生大事にしている引き出しの手提げ金庫にはそれぐらい入っているだろう。」    
 「手提げ金庫」という言葉に、木村も島津もぎくっとなった。木村は一呼吸置くと、慌てないように努め、
「いや、金庫の中にはないんだ。財布に五千円が一枚あったはずだから、それを貸すよ」    
「木村の方は大丈夫か」
「明日、銀行から下ろすからいいよ」
 木村は財布の中に、確かに五千円札があるのに安心し、それを取り出すと広げて宮下に渡した。
「木村様々だ。ありがたい」
 宮下の用が終わったのをしおに、島津は立ち上がった。  
「じゃあ、どうも」
 どちらに挨拶するでもなく言うと、宮下がそれに応じた。   
「まあ、しっかり頑張ってくれたまえ。怠惰云々の話は別にしてな。」   
 島津は自分の部屋に戻った。隣りとの壁は薄いので、二人の話し声がよく聞こえ、内容も聞き取れるほどだったが、島津にはそんなことはもうどうでもよくなっていた。彼の頭の中には「手提げ金庫」という語だけしかなかった。次第に喜びが込み上げて来て、彼の顔にはいかにも幸福そうな笑いの表情が浮かんだ。隣りに人がいなかったら、心ゆくまで大声で笑いたい心境だった。
「俺はこれで勝利者間違いなしだ」
 彼はひとこと呟いた。右手に定規を握り締めたままなのに気づき、苦笑した。机の上に定規を置き、代わりにヘルメットを手に持つと、電灯を消して意気揚々と部屋から出て行った。

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