自作小説「守護神」48 第13章(その3) ※注 小説の時代設定は1970年代。
「怠けていて、そこから何が生まれて来るんですか」
島津が不思議そうに訊いた。宮下にとっては、相手がただ黙って自分の話を聞いてくれているより、質問や反論をしてくれる方が好ましいのであって、島津のこの問いに刺激されたように、宮下は熱を入れて話し始めた。
「受験勉強を余儀なくされている君に、こんなことを言うのが間違っていたかもしれないね。確かに、怠けていては大学に通らない。また、人間働かなくては生活もできない。しかし、怠惰というのが悪いと決めてかかるのは早計だ。実際大いにその権利を主張していいはずのものなんだ。少なくとも、怠けていて後ろめたさを感じる必要はない。君もそのことぐらいは心得ておいていいと思うよ。
そもそも、文化や芸術なんてものは、怠惰や遊びの精神から生まれて来るんだ。俺は曲がりなりにも文学をやっているから、文学のことを例に取らせてもらうとね。中世ヨーロッパで騎士道文学が盛んだったのは、暇を持て余している貴婦人たちが読者だったからだ。勤勉な人々の多い環境からは、文学は生まれて来ないんだ。
現代でもそうだよ。文学が盛んな国を見てみたまえ。決まって享楽的な国だから。アメリカがそうだし、フランスもそうだ。反対にドイツなんかは下火のようだが、国民が真面目すぎるせいだと言える。働かざる者食うべからずという共産主義の国も駄目だ。たまに共産主義国家から大作家が現れる場合があるが、ソルジェニーツインのような反体制側の人間が大半だ。日本もアメリカのあとを追い続ける限り、文学の命脈を保てるだろうが、ドイツのようにしゃちこばって勤勉路線で行こうとすると、そういうものは衰微してゆくだろうね」
「大学や芸術が衰微しようがしまいか、僕にはどうでもよいことです。芸術家になるわけでもないし。それに怠惰から文学が生まれてくると言ったって、やはり書かなければなんにもならないじゃありませんか」
島津の噛み付くような言い方に対して、宮下は嫌がるどころか、微笑みを浮かべながら結構楽しんで聞いていた。
「そりゃそうだ。怠けて遊んでばかりいては、結局何も生まれて来ない。そこの兼ね合いが難しいわけだ」
「怠けるのもほどほどにということですか」
「いや、あまり意識的になっても駄目だ。何事も自然にということなんだ。怠けに徹しているうちに、自然と創作衝動が生まれてこそ本物なんだ。さっき君が言ったけど、確かにわれわれは芸術家などという、文化や芸術を作り出す側の人間じゃない。しかし、だからと言って、怠けてはいけないということにはならない。
怠惰のもう一つの意義は、それが社会に対する反抗になるということなんだ。現代人は巨大な社会機構の中に組み込まれ、それぞれがわずかな役割を分担しているに過ぎない。言わば、われわれは社会という大きな機械の部品になり下がっているわけだ。そこに人間性喪失の問題も起こって来ているんだが、そうした社会に対してわれわれが盾をつこうと思ったら、怠惰という手段しかないんだ。それは根本的な解決にはならないだろうが、そうするより人間性を保つ方法がないんだ。だから、俺もささやかな抵抗をしていると自負しているんだ」
島津が不思議そうに訊いた。宮下にとっては、相手がただ黙って自分の話を聞いてくれているより、質問や反論をしてくれる方が好ましいのであって、島津のこの問いに刺激されたように、宮下は熱を入れて話し始めた。
「受験勉強を余儀なくされている君に、こんなことを言うのが間違っていたかもしれないね。確かに、怠けていては大学に通らない。また、人間働かなくては生活もできない。しかし、怠惰というのが悪いと決めてかかるのは早計だ。実際大いにその権利を主張していいはずのものなんだ。少なくとも、怠けていて後ろめたさを感じる必要はない。君もそのことぐらいは心得ておいていいと思うよ。
そもそも、文化や芸術なんてものは、怠惰や遊びの精神から生まれて来るんだ。俺は曲がりなりにも文学をやっているから、文学のことを例に取らせてもらうとね。中世ヨーロッパで騎士道文学が盛んだったのは、暇を持て余している貴婦人たちが読者だったからだ。勤勉な人々の多い環境からは、文学は生まれて来ないんだ。
現代でもそうだよ。文学が盛んな国を見てみたまえ。決まって享楽的な国だから。アメリカがそうだし、フランスもそうだ。反対にドイツなんかは下火のようだが、国民が真面目すぎるせいだと言える。働かざる者食うべからずという共産主義の国も駄目だ。たまに共産主義国家から大作家が現れる場合があるが、ソルジェニーツインのような反体制側の人間が大半だ。日本もアメリカのあとを追い続ける限り、文学の命脈を保てるだろうが、ドイツのようにしゃちこばって勤勉路線で行こうとすると、そういうものは衰微してゆくだろうね」
「大学や芸術が衰微しようがしまいか、僕にはどうでもよいことです。芸術家になるわけでもないし。それに怠惰から文学が生まれてくると言ったって、やはり書かなければなんにもならないじゃありませんか」
島津の噛み付くような言い方に対して、宮下は嫌がるどころか、微笑みを浮かべながら結構楽しんで聞いていた。
「そりゃそうだ。怠けて遊んでばかりいては、結局何も生まれて来ない。そこの兼ね合いが難しいわけだ」
「怠けるのもほどほどにということですか」
「いや、あまり意識的になっても駄目だ。何事も自然にということなんだ。怠けに徹しているうちに、自然と創作衝動が生まれてこそ本物なんだ。さっき君が言ったけど、確かにわれわれは芸術家などという、文化や芸術を作り出す側の人間じゃない。しかし、だからと言って、怠けてはいけないということにはならない。
怠惰のもう一つの意義は、それが社会に対する反抗になるということなんだ。現代人は巨大な社会機構の中に組み込まれ、それぞれがわずかな役割を分担しているに過ぎない。言わば、われわれは社会という大きな機械の部品になり下がっているわけだ。そこに人間性喪失の問題も起こって来ているんだが、そうした社会に対してわれわれが盾をつこうと思ったら、怠惰という手段しかないんだ。それは根本的な解決にはならないだろうが、そうするより人間性を保つ方法がないんだ。だから、俺もささやかな抵抗をしていると自負しているんだ」
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