京都探訪401「後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー」2 象二郎と龍馬が近所に住んでいた第2期は10月の半月・象二郎の漢詩と書簡・地階でランチ
後藤象二郎は土佐藩の上士の生まれで、少年時代は叔父の吉田東洋の教えを受けます。象二郎の「象」は、吉田東洋を「象(かたど)れ」という意味で山内容堂から拝領したとも言われていると、「後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー」の説明パネルに書かれていました。それにちなんで、ギャラリーの天井には、原在中による相国寺の杉戸の「白象図」の模写が描かれていました。
象二郎と龍馬が京都で近所に住んでいた第2期は、10月だということも説明パネルに記されていました。象二郎は土佐藩邸に入っており、龍馬は9日に京都入りしますが、「酢屋」から土佐藩邸のすぐそばの「近江屋」に移っています。龍馬は、10月24日に福井に向かい、三岡八郎(のちに「五箇条の御誓文の」を起草する由利公正)と会っています。龍馬が京都に戻ったのは11月5日ですが、この時、象二郎は土佐に旅発っていました。ですから、この第2期も半月という短い間でした。周知のように、龍馬は11月15日に「近江屋」で暗殺されてしまいます。
象二郎が作った漢詩です。自分のことを「白髪の壮士」と詠んでいます。説明パネルに「自由民権運動にいくども挫折したが、それでも新しいことに取り組む意欲を失わぬという決意を示したものか」と記されています。象二郎は明治新政府で要職に就きましたが、明治6年の政変で下野し、後に自由民権運動などに取り組みました。
象二郎の晩年の書簡です。明治30年1月17日付の、元土佐藩士で司法官、政治家として活躍した岡内重俊に宛てたものです。書簡には、岡内の祝宴に呼ばれたものの、病気で参加できなかったが、回復して家に戻ったので、近々会いに行きたいということが記されています。象二郎が亡くなったのは、8月4日です。
「後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー」には妻と一緒に行きましたが、昼食は「リソルホテル」の地階にあるイタリア料理店で取りました。日替わりランチを注文しましたが、サラダ、スープ、パン、チキンのソテーでした。サラダも野菜たっぷりでしたし、チキンもボリュームがあり、味にも満足しました。
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