旅行記315 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる7 石田三成の実像3431 通説で三成の陣跡とされる笹尾山・関ヶ原古戦場記念館見学1

10月24日、米原の梓河内から関ヶ原に戻り、通説で三成が陣を置いたとされる笹尾山に行きました。
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 千田嘉博氏が最近、三成らが陣を置いたという新説を出された玉城跡(城山)が、笹尾山から遠くに望めます。もし三成らが大垣城から玉城まで移動したとすれば、かなりの距離を夜中に歩いたことになります。三成が笹尾山に陣を置いたことは、一次史料にも江戸時代の書物にも一切記載がありません。三成の本陣が笹尾山に比定されたのは、明治時代になってからだと高橋陽介氏は指摘されています。もっとも、今では笹尾山が三成の本陣ということで、一般的に広く信じられて、すっかり定着した感があります。通説を覆すことがいかに難しいか改めて感じます。
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 笹尾山に馬防柵が作られたのは、2000年の関ヶ原合戦400年祭の時のことだったのではないかと記憶しています。笹尾山の山頂からは関ヶ原が一面に見渡され、見晴らしがよいですし、この日も訪れる人が絶えませんでした。
 高橋陽介氏主催の関ヶ原周辺巡りは、昼頃、関ヶ原古戦場記念館のそばで一応解散となりましたが、われわれオンライン三成会のメンバー3名は、レストランで食事してから、記念館の中に入りました。
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 食事は「足軽カレー」を取りました。記念館は以前は、関ヶ原町歴史資料館でしたが、建て替えられてすっかり様変わりしました。記念館になってから、入館するのは初めてでした。床のスクリーンに日本地図が映り出され、関ヶ原の戦いに至る経緯が説明され、次にシアターで関ヶ原の戦いを描く10分ぐらいの映像を見ましたが、椅子が動き大きな音響で戦いの臨場感を体験できる工夫がされていました。むろん、関ヶ原の戦いの経緯などは、通説通りでしたが、家康が松尾山の小早川隊に鉄砲を撃たせて裏切りを促したという、いわゆる「問鉄砲」の話は取り上げられていませんでした。「問鉄砲」の話は一次史料に全く記載がなく、江戸時代に創作された逸話であることを白峰旬氏が論証されています。その説が認知されるようになった結果でしょうか。

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