石田三成の実像3435 白峰旬氏の「スペインの世界戦略に挑戦する豊臣秀吉」8「秀次事件に関する記載」6 謀叛の嫌疑としては充分な金銭問題(遠藤珠紀氏の見解)  谷徹也氏の「『秀次事件』ノート」3 精神的に追い込まれて自ら切腹

 白峰旬氏の論文「スペインの世界戦略に挑戦する豊臣秀吉ー『スペイン統治時代フィリピン総督日本関係文書』に記された豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の時代に関する諸事項の記載についてー」の「秀次事件に関する記載」の中で、遠藤珠紀氏の次のような指摘が取り上げられています(『豊臣秀次と金銭問題』)。
 「『もともと秀吉に秀次殺害の意図はなかったが、秀次が切腹した後、その対応は著しく変化した』という矢部健太郎氏の指摘を紹介したうえで、『秀吉の対応の変化には、この一の台の件も大きかったのではないか。不明瞭に消えている財産、焼かれた書類、謀叛の嫌疑としては充分である。秀次の「謀叛」はこの件によって固まってしまった可能性もあろう』と指摘されている」と。
 矢部氏の見解は、秀吉が秀次に切腹を命じたという通説を否定し、秀吉は秀次に対して高野山に住まわせることを命じたものの、秀次は自らの潔白を証明するために秀吉の意に反して自ら切腹したので、秀吉は激怒し、その事実を隠蔽すべく、秀吉が謀反の罪で秀次を切腹させたとということにし、さらに秀次の妻子をことごとく処刑し、秀次の住んでいた聚楽第を破却するなど厳しい処分を下したというものです。
 遠藤氏は、秀次の正室の一の台の金銭問題などが、秀次の謀反を秀吉に疑わせた可能性があることを指摘されているわけですが、こういう金銭問題が背景にあったとする点は今後検討すべき重要な課題だと思われます。一の台は菊亭晴季の娘ですが、一の台は処刑されたものの、その娘の命は救われ、真田信繁の側室になっています。そこに三成の尽力があったことを、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の中で書きましたが、そのことはすでに白川亨氏が指摘されています。
 三成らが秀次事件を画策し、切腹に追い込んだという捉え方が江戸時代からされてきて、今でもドラマや小説でそういう描き方がされることが少なくありませんが、一の台の娘を救っていることといい、若江八人衆をはじめとする秀次家臣を多数召し抱え、彼らが関ヶ原の戦いで奮戦していることといい、三成陰謀説は江戸時代に作られたものという気がします。
 「甫庵太閤記」所収の、秀次切腹を命じた7月13日付の三成ら五奉行連署状写について、矢野氏は創作された書状であるという見解を示されています。秀吉は7月12日付で、秀次を高野山に住まわせることを命令した、いわゆる「秀次高野住山」令を発していますから、この時点で、秀次切腹を命じていないことは確かだと思われます。
 秀次が身の潔白を示すために切腹したとするのが矢野氏の見解であるのに対して、谷徹也氏も「『秀次事件』ノート」の中で「秀次は自ら切腹した可能性が高」いと指摘されていますが、その理由については、「無実の証明というよりも、虚言に基づく謀反の汚名を被り、精神的に追い込まれたことに求めた方が穏当である」と指摘されています。
 もっとも、「虚言に基づく謀反」ではなかったことをスペイン側の史料は示しており、遠藤氏も秀次に謀反の嫌疑がかけられても仕方がない面があったことを指摘されているわけです。

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