自作小説「守護神」29 第8章(その5) ※注 小説の時代設定は1970年代です

「さすがにお腹がぺこぺこになってきたわ」
「今、何時だい」
「あらっ、あなた、時計をはめてないじゃない。今まで全然気づかなかったけど」
 彼女の驚いたような様子に、木村の方が恥ずかしくなったが、その気持ちを彼女からも自分からも隠すように、平然とした口調で言った。
「安息する日に、時計はいらないよ」
「でも珍しいわ。あなたが時計をはめていないところなんて、今まで見たことがないもの。やっぱりあなた、今日は変よ。何を見せるのかも言わず、明日来てほしいと言ったこともそうだし、第一、午前中に私の所へ来ることも初めてじゃなかったかしら。それに、あのこともあるし」
 思わぬところから矛先が向けられたので、彼は少したじろいだが、巧みに言葉を取り繕って、それをかわした。
「人間、いつも同じであるはずがないよ。ロボットじゃあるまいし。意外性を持っているところに、人間の長所も短所もあるんだ。こういう意味のことは、犯罪論で充分話したことじゃないか。こんな話をしているより、今は食うことが先決だ」  
「はい、『腹が減ってはいくさはできぬ』ってところね。あなたを追及したって、何の足しにもならないもんね。もう一時過ぎよ。何を食べる?」
 怜子があっさり引き下がってくれたので、彼は胸を撫で下ろした。    
「なんでもいいけど、旨くてボリュームのある店がいいな」
「誰でもそう思うわ。月並みね。あっ、いけない。またあなたに文句を言ってしまって。御飯がまずくなるわね」
「足が疲れたから、一番近い、いつものレストランにしよう」   
「『オーロラ』ね。でも、いいの?今日はいつもと違ったことをするあなたが、レストランはお馴染みの所なんて。あっ、いけない。また皮肉めいたことをあなたに言ってしまって、ごめんね」  
 彼女の言葉に真実味は籠っていず、彼をからかうことを楽しんでいるだけのようだったが、彼にはその方が有り難かった。彼女にしても、そうすることによって、彼への執拗な追及を避けているのかもしれなかった。訳は分からないながらも、今彼をこれ以上追及しても、彼にも彼女自身にも良い結果は生み出さないということを、直観的に感じとったのかもしれなかった。
 二人は街に入ると雑踏の渦の中に巻き込まれたが、程なくレストランの店内に吸い込まれて行った。

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