旅行記316 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる8 石田三成の実像3432 関ヶ原古戦場記念館見学2  動く「関ヶ原合戦図屏風」・三成の三女が嫁ぎ、次男を匿った津軽家・旅行支援のクーポン

DSCF0695.JPGDSCF0696.JPGDSCF0697.JPG
関ヶ原古戦場記念館には、描かれた人物たちが動く「関ヶ原合戦図屏風」が展示されていました。なかなか面白い趣向だと思いましたし、しばし見入りました。これは写真OKでした。家康の養女の満天姫が津軽二代目藩主信枚に嫁ぐ時に家康が持たせたものをもとに作られています。信枚にはすでに石田三成の三女の辰姫が嫁いでいましたが、満天姫が信枚の正室となったため辰姫は津軽分領の大館(群馬県)に移され、そこで32歳で亡くなっています。もっとも、三代藩主になったのは、辰姫が生んだ信義でした。辰姫が信枚に嫁げたのは、北政所の養女だったことによると言われています。通説では、北政所は三成を嫌っていたとよく言われ、ドラマや小説ではそういうふうに描かれがちですが、この事実をもってしても、それは間違いだということがわかります。
三成の娘の辰姫が、津軽信枚に嫁いだのは、関ヶ原の戦いの後であり、三成は謀反人として処刑されましたから、普通では三成の娘が大名家に嫁げるはずがありません。それができたのは北政所の尽力があったからだけではなく、津軽家が三成に恩義を感じていたからでした。津軽家が、大名として存続できたのは、三成の取りなしがあったことが大きく、その恩義に報いるため、津軽家は辰姫だけでなく、三成の次男の重成も引き取りました。重成は関ヶ原の戦いの後、津軽まで逃げ、杉山源吾と名を変え、杉山家は代々津軽藩の重臣として召し抱えられました。
DSCF0698.JPG
 関ヶ原古戦場記念館は2階が関ヶ原合戦に関する史料が展示されていますが、さらに3階の展望室があり、通説で関ヶ原の戦いが行われたとされる場所が、見渡せます。三成が陣を置いたとされる笹尾山も幟(のぼり)、そのすぐ東隣りにある笹尾山交流館(旧関ヶ原北小学校)なども見えます。
 この後、車で米原まで送ってもらい、電車で帰途に就きましたが、この旅行は、全国旅行支援の対象でした。最初、大垣のビジネスホテルを予約した時は、まだキャンペーンは始まっていませんでしたが、後で割引対象となりました。ホテルで4000円のクーポン券ももらいましたが、関ヶ原古戦場記念館での昼食代と家への土産で使い切りました。
 旅行支援が、経済効果を生み出しているのはいいことですが、またコロナ感染者が増え出しているので、素直には喜べません。自分の中でも、ジレンマがあります。一人では三成関連の旅行に行っていますが、家族旅行は3年程していません。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック