自作小説「守護神」27 第8章(その3) ※注 小説の時代設定は1970年代です

「あなたがいけないのよ。妙なことを言うから。  
 ええと、さっきの話ね。確かに川の流れが現実の姿だというのは認めるわ。だけど、その流れに運ばれてゆく枯れ葉が、安易に現実に流されている受動的なものだとは思えないわ。むしろ、現実から目を背けず、現実に即して何事も処理してゆこうという、積極的な姿勢が表われているのよ。だから、あなたが言ったように楽なことというのは当てはまらないのよ。現実を直視しなければいけないんだから、かえって苦しさを伴なうわけよ。そういう現実主義的なところが、いかにも女性なのよ。女性というのは、夢や空想よりも、現実や生活を大事にするものなんだから。
 その反対に、男性では現実だけでは満足せず、夢を追い求めるロマン主義的なところがあるでしょ。杭が男性を思わせるというのは、川の流れに反抗したように立っている姿が、そういう男性の特質と同じだからよ。
 杭の虜になっている枯れ葉は、悲しいもんよ。あれは夢を見続けている男に引っ張られて、同じく実現しそうもない甘い夢を見せられている女性の姿を象徴しているわ。そして、最後は杭も絡み付いた枯れ葉も、両方とも朽ちてしまうのよ。その時になって、自分たちのやっていたことの愚かしさが分かるかもしれないわね。    
 あなたは杭を絶対的なもの、永遠なものと見なしているけど、一時的にそう見えるに過ぎず、あれも滅びを免れることはできないわけだから、特別に見なすことはおかしいわ。『方丈記』に書かれているように、みんな無常なのよ」
 木村はいくぶん俯きがちに歩きながら、喜んでいいような悲しんでいいような複雑な思いで、彼女の話を聞いていた。
『ミーハー的なロマンチックなムードどころじゃない。かえって男の方がロマン主義者って決め付けられてしまった。全く恐れ入ったよ。本当なら彼女が電車の女のようでないことが明らかになったのだから、喜んでいいはずなのだが、どうもすっきりした気持ちにはなれない。杭の絶対性を否定されたことで、守護神の存在まで否定されたような気になってしまったんだ。やっぱりあれは彼女に合わないのかもしれないな』   
 彼は顔を上げると、並んで歩いている彼女の横顔を見た。目の脇にほくろがないのを訝しく思ったが、右目であることに気づいた。
『ちょっとしたことで別人のように見えるな。大体、怜子の部屋で抱こうとした時の、あのほくろの印象が大き過ぎたんだ。いや、ちょっと待てよ。鴨川を歩き出してからも彼女のほくろを見ていたような気がするが。そうか、あの杭を見た時から彼女と並ぶ位置が反対になってしまったんだ』
 怜子も彼の方を見た。言いたいことを言ってしまった清々しさが、彼女の表情に漂っていた。  
「怜子も現実主義者かい」
「そらそうよ。文学部の学生のくせにね。就職を商事会社に決めたのも、その反映かもしれないわね。英文科の場合、圧倒的に教師になる者が多いけど、文学や研究に未練を持っているからなのよ。その点、私は割り切っているわ。英語が役立つといっても、会社では商業や貿易関係の文章ばかりだから、大学で学んだこととは直接関係ないし。でも大学は大学、社会は社会よ。卒論を手抜きにするつもりはないし、最後だから余計一生懸命にやっておきたいのよ」
 気迫に満ちた彼女の言葉に、完全に気圧された感じの木村だった。

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