旅行記314 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる6 石田三成の実像3430 梓河内の石田家の菩提寺である常福寺と龍澤寺・三成の先祖は梓河内の石田家か?

 23日、みんなで梓河内に向かいました。石田三成が梓河内の石田家の血筋だと書かれているのは、妙心寺の寿聖院(三成の長男の重家が出家した寺)に伝わる「霊牌日鑑」であり、その書には、木曽義仲を討ち取った石田為久が、後に流浪して京極氏を頼り、梓河内の猪鼻城を預かり、それが三成の遠祖であると書かれています。そのことは、石田多加幸氏の「石田三成写真集」にも記されていますが、実際に梓河内に足を運んだのは私自身、今回が初めてのことでした。
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 まず、常福寺を訪ねました。「石田三成写真集」では、「石田家の菩提所」として紹介されています。あいにく、住職さんは不在で奥様に少しお話をうかがいました。奇遇に感じたのは、奥様の甥が現在、観音寺の住職をされているということを聞いた時でした。観音寺は、三成が秀吉に仕えるきっかけとなった三献茶の逸話の舞台となったとされるお寺で、私もたびたび訪ねています。常福寺の墓所には石田家の墓がいくつもありました。もっとも、三成の家紋は九曜紋ですが、ここの石田家の墓の紋は七曜紋でした。奥様によれば、本家筋の石田家の菩提寺は、隣の龍澤寺にあるというので、今度はそちらの方に向かいました。
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 龍澤寺には、幸い、住職さんがおられ、いろいろお話をうかがい、石田家のお墓にも案内してもらいました。墓地は少し高いところにありました。このあたりは、冬は雪がたくさん積もるそうです。一行の中に、石田家の本家を以前訪ねた人があり、その家も訪ね、玄関のところで挨拶しましたが、アポなしの訪問で、しかも10人の大人数だったので、日を改めてじっくりとお話をうかがえればと思っています。
 梓河内の石田家と、坂田郡(現・長浜市)石田の石田家(石田三成の一族)とが関係あるのかどうかはっきりしたことは分かりませんが、太田浩司氏は否定的見解を示されています。太田氏は観音寺文書を検討することによって三成の一族は三成が活躍する200年近く前から、坂田郡石田の土豪であり、梓河内から移り住んだとすれば、それ以前のことになると。常福寺の過去帳には、三成の高祖父に当たる人物が、坂田郡石田に移り住んだと書かれているのですが、時代的に合わないのではないかというわけです。このあたりはさらなる研究が必要だと思われますが、両家は家紋が九曜紋、七曜紋ということで似ていますし、全くつながりがない別の家系ではないという気がします。

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