旅行記312 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる4 石田三成の実像3428 妙應寺の「関ヶ原合戦大絵巻」、徳川家康腰掛石

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 10月22日、関ヶ原町山中地区から、さらに西の今須地区にある妙應寺に向かいました。このお寺を訪ねるのは私は初めてでした。妙應寺は事前予約して訪ねましたが、住職さんに、丁寧な説明をしていただきました。曹洞宗のお寺ですが、大本山は總持寺です。曹洞宗と言えば、永平寺が有名ですが、總持寺系統のお寺の方が圧倒的に多いということを住職さんがおっしゃっていました。開基は、今須領主の長江重景で、母親が年貢を徴収する時に、不正に枡の大きさを変えて民を苦しめたので、その罪を償うために寺を建立したと言います。宝物館には、家康の禁制や「関ヶ原合戦大絵巻」などが展示されていましたが、寄進状など長江氏関連のものも展示されていました。いずれも写真撮影OKでした。
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 「関ヶ原合戦大絵巻」は宝物館の四面をぐるりと取り巻く壮大なものです。戦いの経緯が詳しく描かれていますが、描いた人は、石田三成に好意的だったことがうかがえました。佐和山城も描かれています(五層の天守ではなかったと思っていますが)し、最後は、処刑される三成らが護送する場面になっています。もっとも、戦いの経緯については、司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」に代表されるような、通説通りの描き方で、家康=北政所=福島正則・加藤清正ら武断派VS三成=淀殿=文治派という対立が背景にあったという捉え方がされていました。
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 境内に徳川家康腰掛石があります。家康が関ヶ原の戦いに勝利した翌日、石田三成の居城だった佐和山城を攻める途中に、今須宿の伊藤家で休憩した時に腰掛けたとされている石です。この石は伊藤家の庭にありましたが、明治になって、青坂神社に、さらに2016年に妙應寺に移されています。

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