旅行記317 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる9 小原鉄心の別荘「無何有荘大醒榭」・大垣藩を新政府側に替える・戸田氏鉄の夫人が創建した全昌寺

旅行の順番が戻って恐縮ですが、初日の10月21日の午後、大垣入りし、ホテルに荷物を預けた後、まず水門川の「奥の細道むすびの地」のところまで行きました。芭蕉の「奥の細道」の旅が終わった地です。


そのそばに「奥の細道むすびの地記念館」がありますが、その敷地内に「無何有荘大醒榭(むかあそうたいせいしゃ)」があります。
「無何有荘」は大垣藩の家老だった小原鉄心が幕末に建てた別荘で、「大醒榭」は別荘の三亭の一つです。一時期、鉄心の菩提寺である全昌寺に移築されていましたが、今は現在地にあります。大垣藩は、幕末、当初は佐幕派であり、鉄心も禁門の変などで長州藩と戦い戦功を立てましたが、鳥羽伏見の戦い直後に、鉄心は新政府側と結び、藩論を新政府側に替えました。それ以後は、大垣藩は新政府軍側になりました。この別荘で、鉄心は木戸孝允などの志士と話し合いを行ったと云います。鉄心は文人たちとも広く交流していました。鉄心は明治政府で要職に就いています。
ちなみに、徳川譜代大名でありながら、新政府側に付いたのは、彦根藩なども同じでした。

高橋陽介氏が、関ヶ原の戦いの際、石田三成が陣を置いたのは、自害峰であるという新説を出されていますが、その根拠となる史料は、家康の側近だった戸田氏鉄が後年書いた覚書で、三成は「自害か岡」に陣を置いたと記されています。
戸田氏鉄は後に大垣藩主になりましたが、その夫人の大誓院が創建した寺が全昌寺です。全昌寺は「奥の細道むすびの地記念館」のすぐ北にあります。
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