自作小説「守護神」14 第5章(その3) ※注 小説の時代設定は1970年代です
『なんと乗客はそれぞれの世界に閉じこもっていることだろう。たまたま同じ車輌に乗り合わせているというだけで、他人同士に過ぎない。隣りにどんな人間が座っていたか、後になって誰も思い出せないだろう。現代は、こんなふうに人間同士が疎遠な社会になってしまっている。だからこそ、あの守護神がいるんだ。あれを核に据えることによって、少なくとも自分と同じ考えを持った人々とつながりができるんだ。
あの店員に話したかったのも、そのことだったんだ。だが、あれは今から考えると危なかったな。調子に乗って、赤の他人に自分の考えを披瀝しまいかねなかったんだから。洗いざらい言ってしまえば、あの事件との関係が疑われたかもしれんな。全く冷や汗もんだ』
真向かいに座っている眼鏡の男が新聞を読んでいた。最初のうちは一面を読んでいたので、木村には裏面のテレビ欄しか見えなかったが、新聞を開いて二面を読み出した途端、彼の目に「派出所でピストル盗難」という一面の大見出しが飛び込んだ。彼はまたもや茫然として、「休憩室に放置したまま仮眠」「管理のずさんさ露呈」「危険多い一人勤務」などの見出しを、それらの意味がよく分からないまま何度も繰り返し見た。
『自分もたいしたことないじゃないか。これしきのことで頭が混乱してしまうなんて。とんだお笑い草だ。守護神に申し訳ないな。駅に来るまでも、あのニュースの内容を踏まえて昨夜のことをいろいろ思い合わせていたなあ。あのドアは簡単に開いたけど、警官が締め忘れていたのかとか、あの後もしばらく警官は目覚めなかったとか、動物的な大きな鼾をかいていたとか、あの写真は守護神に比べると、あまり威厳があるようには見えず、おもちゃみたいだったとかな。
自分は運がよかったに違いない。ドアの鍵を掛け忘れたことと、あれを保管するのを忘れたという二つのお膳立てが整っていたから、うまくいったんで、どちらが欠けても駄目だったんだから。いや、あの新聞の見出しのように、一人勤務ということも幸いしているんだ。複数なら絶対出来ないことだったんだから。もっとも、一人しかいないのは随分前から分かっていたんだが。そうだ、もっと大きな要因は、あの黒い財布だ。あれがなかったら、あそこに入ってみる勇気はなかっただろう。
それにしても、自分の関知していない所で事件が報道されたり、警察の捜査が進められたりしているのは不安だ。よく映画やテレビドラマで、犯人が新聞をたくさん買い込んで来て、大々的に報じられている記事を読んで、自分のしたことに得意となるシーンがあるが、それでもやっぱり内心は不安に違いないんだ。自分は新聞を買うどころか、下宿でテレビのスイッチすら捻ることができなかったんだから処置なしだ。生協で見たといっても、始めからテレビがかかっていたんだから、受動的な行為に過ぎない。そう言えば、今朝大学へ行く時も、あそこの前を通るのをわざわざ避けて、別の道を行ったんだから、情けない話だ。だが、これではいけないんだ。もっと強くならなければ。そのための守護神なんだから。守護神に申し訳ない、謝らなくてはいけないな』
激しかった電車の揺れが小さくなってきた。彼は顔を上げて、窓の外を見やった。降りる駅が近づいていた。
あの店員に話したかったのも、そのことだったんだ。だが、あれは今から考えると危なかったな。調子に乗って、赤の他人に自分の考えを披瀝しまいかねなかったんだから。洗いざらい言ってしまえば、あの事件との関係が疑われたかもしれんな。全く冷や汗もんだ』
真向かいに座っている眼鏡の男が新聞を読んでいた。最初のうちは一面を読んでいたので、木村には裏面のテレビ欄しか見えなかったが、新聞を開いて二面を読み出した途端、彼の目に「派出所でピストル盗難」という一面の大見出しが飛び込んだ。彼はまたもや茫然として、「休憩室に放置したまま仮眠」「管理のずさんさ露呈」「危険多い一人勤務」などの見出しを、それらの意味がよく分からないまま何度も繰り返し見た。
『自分もたいしたことないじゃないか。これしきのことで頭が混乱してしまうなんて。とんだお笑い草だ。守護神に申し訳ないな。駅に来るまでも、あのニュースの内容を踏まえて昨夜のことをいろいろ思い合わせていたなあ。あのドアは簡単に開いたけど、警官が締め忘れていたのかとか、あの後もしばらく警官は目覚めなかったとか、動物的な大きな鼾をかいていたとか、あの写真は守護神に比べると、あまり威厳があるようには見えず、おもちゃみたいだったとかな。
自分は運がよかったに違いない。ドアの鍵を掛け忘れたことと、あれを保管するのを忘れたという二つのお膳立てが整っていたから、うまくいったんで、どちらが欠けても駄目だったんだから。いや、あの新聞の見出しのように、一人勤務ということも幸いしているんだ。複数なら絶対出来ないことだったんだから。もっとも、一人しかいないのは随分前から分かっていたんだが。そうだ、もっと大きな要因は、あの黒い財布だ。あれがなかったら、あそこに入ってみる勇気はなかっただろう。
それにしても、自分の関知していない所で事件が報道されたり、警察の捜査が進められたりしているのは不安だ。よく映画やテレビドラマで、犯人が新聞をたくさん買い込んで来て、大々的に報じられている記事を読んで、自分のしたことに得意となるシーンがあるが、それでもやっぱり内心は不安に違いないんだ。自分は新聞を買うどころか、下宿でテレビのスイッチすら捻ることができなかったんだから処置なしだ。生協で見たといっても、始めからテレビがかかっていたんだから、受動的な行為に過ぎない。そう言えば、今朝大学へ行く時も、あそこの前を通るのをわざわざ避けて、別の道を行ったんだから、情けない話だ。だが、これではいけないんだ。もっと強くならなければ。そのための守護神なんだから。守護神に申し訳ない、謝らなくてはいけないな』
激しかった電車の揺れが小さくなってきた。彼は顔を上げて、窓の外を見やった。降りる駅が近づいていた。
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