フランス文学探訪105 ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノー氏の小説「シンプルな情熱」について1(2007年記事の再録)

 フランスのアニー・エルノー氏がノーベル文学賞を受賞しました。大学でフランス文学を専攻した身としては、喜ばしいことで大いに祝福したい気持ちです。彼女の小説「シンプルな情熱」についての文章を、20年程前、大阪府立堺工業高校の教員有志で発行していた同人誌に掲載しようと思っていたところ、その雑誌が廃刊になったため、掲載できませんでしたが、原稿は残っており、2007年6月3日付の拙ブログに掲載しました。この機会に、それを改めて載せたいと思います(文中の敬称略)。
img20221006_22493865.jpg
 ハヤカワepi文庫に収録されている作品であり、多分に私小説な作品です。というより、この作家の作品全体が私小説の色合いが濃く、自分の体験をそのまま述べたり、父母の半生を描いたりしており、フランス文学では珍しいタイプの作家だと言えます。日本では田山花袋の「蒲団」以来、私小説の伝統が脈々と受け継がれており、たとえば今でも在日の作家ながら柳美里にも多分にその傾向があります。
 アニー・エルノーはノルマンディーの出身で、ルーアン大学でフランス文学を学び、近代文学の教授資格を取って、アルプス地方で10年間、その後、パリでも高校教師を勤めました。結婚、離婚を経験し、74年に最初の小説「空の洋服ダンス」を発表しますが、自分の妊娠中絶の体験をもとに、その心情を書き綴った一人称小説で、最初から自伝的な色彩が強かったと言えます。77年に出した「あの人たちが言うこと、むなしいこと」は、15歳の時のバカンスでの初体験を描いたものであり、サガンの「悲しみよこんにちは」と内容が似ていますが、もっと内部に沈潜しており、策略とは無縁の世界に生きており、やはり一人称小説です。
 81年の「凍りついた女」では結婚生活に倦んだ女性の気持ちがやはり一人称で語られていますし、職業も高校教師なら、2人の子持ちというのも作者と重なり合っています。別れた夫との結婚生活についてもかなり実生活に近いと思われることを書いており、プライバシーの問題を考えさせられますが、それは「シンプルな情熱」でも一緒です。
 84年の「場所」では亡くなった父親の人生を、「ある女」ではやはり亡くなった母親の人生を描いていますが、これらは両親の死後に出したことで、一定の配慮はなされています。
 「シンプルな情熱」は92年に発表されましたが、その赤裸々な描写でセンセーションを巻き起こし、ベストセラーになりました。これもまた自分の体験をほとんどそのまま描いており、具体的に相手のことを書くと人物が特定されるため、素性についてはある程度ぼかしています。しかし、相手の男性が妻子のある東欧の外交官であることは隠されていません。「私」に中絶の経験があることも、離婚してパリで高校教師として暮らしていることも作者と変わりありません。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック