石田三成の実像3381  白峰旬氏「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」43 「8月3日付井伊直政・村越直吉宛伊達政宗書状」1 文中の「御奉公」は誰に対するものか

 白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」の中で、慶長5年8月3日付井伊直政・村越直吉宛伊達政宗書状が取り上げられ、まず次のように指摘されています。
「この書状が出された8月3日の時点では、伊達政宗は攻略した白石城(7月24日攻略)に在陣しており、家康は前稿Bで推測した想定では、8月2日に宇都宮を発して江戸への移動中であった(江戸着は8月5日)。よって、この伊達政宗書状の宛所は、家康ではなく、井伊直政・村越直吉(江戸城の留守居であったと思われる)宛になっている、と考えられる。
 この書状には『御奉公』という文言が5ヶ所に出てくるが、すべて、豊臣秀頼に対する『御奉公』という意味である。この時点で、家康と伊達政宗の間に封建的主従関係は成立していないので(勿論、他の大名の場合も同様である)、家康に対する『御奉公』という意味は成立しない。
 この書状が出された8月3日の時点の状況は、7月 17日に大坂三奉行(長束正家・増田長盛・徳善院玄以)が『内府ちかひの条々』を出して家康を豊臣公儀から放逐していたので、その状況を前提にこの書状の内容を検討する必要がある」と。
 この書状の中の「御奉公」という文言について白峰氏は「豊臣秀頼に対する『御奉公』という意味である」と指摘されていますが、佐藤貴浩氏は「大坂にいる政宗の妻子を見捨ててでも家康に『御奉公』すると伝え」と解釈されています(「伊達政宗氏の戦い」)。「御奉公」が秀頼に対するものか、家康に対するものかによって、この書状の意味合いは大きく変わってきます。佐藤氏は、政宗と家康との緊密な関係を示すものの一つとして、この書状も挙げられています。しかし、白峰氏の「この時点で、家康と伊達政宗の間に封建的主従関係は成立していない」という指摘は説得力があるように思います。もっとも、政宗が家康に対して「御奉公」と記すことによって、家康を持ち上げ、家康に尽くす気持ちが揺るぎないことを示そうとしたというのも、考えられないことではありません。このあたりは、政宗の他の書状などを分析して、検討する必要があるように思います。
 白峰氏の同書では、この書状について具体的に解釈されていますが、まず一条目について、次のように指摘されています。
 「『申上候キ』という文言が2箇所に出てくる。『き』とは、過去を意味する助動詞であり、『話している時点からみて、その出来事が現在から切り離された過去の事実であることを表す』、『過去の事を、直接経験した事あるいは確実に存在した事として、回想する意を表す』という意味である。
 よって、下線a~下線dは、8月3日現在のことではなく、過去にあった出来事の回想を政宗が述べている点は注意を要する」と。
 文中の「下線a~下線d」は、一条目の前半部分を指しますが、それぞれの下線部分について詳しく解釈されていますので、後述します。なお、古典文法では、過去の助動詞として「き」と「けり」がありますが、「き」は白峰氏の指摘通り、「直接体験した事」を回想する時に使うのに対して、「けり」の方は伝聞や伝承などによって「間接体験した事」を回想する時に使います。

この記事へのコメント

鳥越九郎
2023年12月05日 20:29
この書状に関する白峰氏の解釈は字義からすると御尤もと思うのですが
根本的な前提条件のズレから正確な解釈が出来ているのかという疑問があります。

先ずこの書状の出された経緯ですが文面からして返書ではなく政宗の入手した
情報を元にしていると看取できますが、以前取り上げられていらっしゃった関ケ原大乱に上杉攻め中止の家康からの一報が最上経由で政宗に届いたのはまさにこの8月3日とあります、家康から最上への上杉攻め中止は7月23日書状で到着は8月上旬とありますので時期的にも一致します。
(7月23日書状)
石田、大谷の才覚で方々へ触状が廻り風聞が拡がり会津征伐については、これ以降御無用とします。大坂の儀は仕置き手堅く進めており、家康と大坂奉行衆とは一所であることの三奉行からの書状をご覧いただくよう進ぜます。

この7月23日奉行衆からの書状は現存しませんが7月27日榊原康政書状に
三成、大谷之別心につき大坂三奉行より内府に上洛してほしいといってきているとあり、政宗の文面からしても政宗の認識としては白峰氏は否定してますが
7月23日時点で家康の把握していた大坂三奉行は味方、謀反を起こしたのは
三成、大谷の両人ということだと思います。

3奉行と三成、大谷が結託した上に、毛利、宇喜多も加担という所まで知っていたのであればなぜ2大老のことも西国大名も加担ということが一言も出てこないのでしょうか、単に8月3日時点ではしらなかったということだとおもいます。その時点で書き手の知っていた情報を基にした解読をしないと
正しい解釈はできないとおもいます。

この記事へのトラックバック