京都探訪370 本能寺の変の際、信忠が泊まった妙覚寺・日蓮上人の遺命を受けて、弟子の日像上人が京都布教のために創建した妙蓮寺


妙覚寺は、本能寺の変の際、織田信長の嫡男信忠が泊まった寺ですが、その時の場所は今と違います。本能寺も同様で、その後、秀吉が京都改造で、寺の位置を現在の地に移しました。信長と信忠が同時に京都に泊まったので、明智光秀は彼らを討つことを決意したのでしょうし、そういう意味では信長は油断していたと言えます。当時、織田家の家督は信忠に譲られていましたから、信長も信忠も同じ所にいたというのは、客観的に見れば、大きなミスでした。二人が全く離れたところにいれば、光秀は彼らを討つことは考えなかった可能性もありますし、光秀はあらかじめ周到な計画を練っていたわけではなく、彼らが共に京にいることを知って突発的に討つことを決心したとも考えられます。ちなみに、当時の妙覚寺は室町小路に面しており、当時の本能寺の北東の位置にありました。



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