旅行記272 石田三成の実像3137 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣5 通説では三成が陣を置いたとされる笹尾山・「三成伝説」の決定版に白峰旬氏の新見解も紹介




もっとも、2009年に発行したオンライン三成会編「三成伝説」の中でも、関ヶ原の合戦については、三成は関ヶ原におびき出されたのではないという中井俊一郎氏の見解、島津隊が動かなかったのは二番備えだったという桐野作人氏の見解なども紹介しましたが、合戦の経緯はある程度通説に基づいたものでした。3年後に改装版を出した時も同様の記述でした。しかし、その後、白峰旬氏をはじめとした研究者が、一次史料などの分析から新見解を出され、納得できる点も少なくなかったため、2016年に改めて出した「決定版 三成伝説」では、新見解も最後に少し取り上げました。どちらに付くか迷っていた小早川秀秋に家康が鉄砲を撃たせて裏切りを促したというのは創作であり、秀秋は最初から家康方に付いていたこと、主戦場は関ヶ原ではなく、山中エリアだったこと、世間に知られている合戦の布陣図には歴史的根拠はないことなど。
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