旅行記151 三成の実像2629 壱岐対馬を経て韓国へ10 釜山で豚クッパ・三成が到着した期日は不明

 
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4月29日の夕方、釜山港に着きました。対馬の比田勝港から高速船で一時間余りでしたが、今度は入国手続をしなければならず、書類も書く必要がありました。外国に行くのは、7年前のスイス旅行以来です。もっとも、手続き自体はそれほど時間がかかりませんでしたが。船は満員でした。
 港から歩いて釜山駅前のホテルまで15分かかって歩きました。まだ雨が降り続いていました。港や駅近辺の様子は、17年前に来た時の釜山のイメージと大きく変わっており、道も広くなっており、洒落たビルも出来ていました。
 ホテルにチェックインした後、荷物を部屋に置き、みんなと一緒に近くの店で豚クッパを食べました(上の写真)。器の中に、味噌、小エビの塩辛、生にら、ニンニク、青とうがらし、キムチ、そしてごはんを入れて、かき混ぜて口にしましたが、野菜がなくなると、店の人が追加してくれますから、ボリュームはたっぷりあり、お腹がふくれました。しかも、料金は豚クッパ一杯分だけですから、かなりお得で、日本と比べて、かなり安く感じました。中に入れるものによって、味が変わり、そのバリエーションも楽しみました。
入国した時、港で円をウォンに換えました。17年前とウォンと円の交換レートはあまり変わらず、ウォンの0を1つ取ったら、円になりますから、換算しやすく、たとえば、1000円ウォンが、おおまか100円になります。
 食事後、釜山駅の中のパン屋に入り、カフェラテとワッフルを注文し、イートインコーナーで食べました。ラテ・アートになっており、その発祥はイタリアだということですが、日本のみならず韓国でもひろがっていることを実感しました。
  ちなみに、三成が文禄元年、釜山に到着した日時については、よくわかりません。名護屋を出たのは6月6日の朝であり、同日、壱岐に着いていますが、壱岐、対馬にどれぐらい滞在したか不明です。秀吉が入る予定の御在所の普請状況などを確認したはずですから、少しは滞在したかもしれません。もっとも、三成らの目的は、秀吉の発した「6月3日令」(朝鮮半島の奥地、さらに明まで侵攻せよというもの)を諸将に伝え、朝鮮半島の戦いの状況を把握して、秀吉に報告することでしたから、先を急いだものと思われます。中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、三成らが「朝鮮に上陸した記日は明らかでないが、7月16日には漢城に到着する(『西征日記』)」と記されています。
 釜山に到着した三成らは、ここでも韓国の秀吉の「御座所」の普請状況を確認し、合わせて戦いの状況をつぶさに見ながら、漢城までの道を進んだのではないでしょうか。

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