フランス文学探訪87 ジイド「法王庁の抜穴」3   「動機なき殺人」が最大のテーマ

  この小説の最大のテーマは「動機なき殺人」ですが、衝動的に殺したのがラフカジオに全く無関係の人物ではなかったことが後で分かりますし、夢のような気持ちで人を殺して以来、悪夢の中で彼はもがき苦しむようになります。ラフカジオは首尾一貫しないのが人間であるとの持論を持ち、小説に不満を持っているのは、主人公が作家の主張通りに行動してゆく、すなわち主人公が作者の傀儡(かいらい)的な存在になっていることに対してなのです。ジュリユスはそういうラフカジオの不満を受けて、行動に首尾一貫しない主人公、まるで遊戯のように何の得にもならず、何の利害も持たない人物を殺す主人公を描いた小説を書きたいと思うようになるのです。しかし、それはあくまで頭の中の話であり、現実世界でそういう行為を働いたラフカジオを許せなかったのは、前に触れた通りです。
 ジイド自身も、実験的にこういう「動機なき殺人」を小説で書いているのであって、こういう行為を是認しているわけではありません。しかし、首尾一貫しない行動を取る人間の得体の知れなさを追求したジイドの姿勢は評価されるべきでしょう。小説を書くに当たっても、作家の構想通りに筆が運ぶとは限りません。ラストをこういうふうにしようと思っていた作者が、書き進めているうちに、違った結末になってしまったという話はよく聞きますし、まるで神がかりになったかのように、自分の意志ではなく、小説が自動的に綴られていったような気がしたと作者自身が言っているのを私も何度か聞いたことがあります。書き上がってみるまではどうなるかが分からないところが、小説を書く面白さであって、初めから最後までずっとお見通しでは、書く楽しみもないというものです。
 それはともかく、こういう問題意識を持って、作品を書いていったジイドはいかにも二十世紀の作家らしいと言えます。彼以降、文学の上では、技法的にも内容的にもさまざまな試みがなされ、行きつくところまで行きついた結果、今は全く行き詰まったような感があります。
 むろん、この作品が成功作かと言えば、大いに疑問です。ジイド自身が「茶番」と名づけたような内容であり、登場人物の多くは戯画化され、真実味に乏しく、娯楽的な大衆小説のような趣きになっています。しかし、単なるお笑いで済まないところは、やはりラフカジオの殺人の場面であり、夢から現実に引き戻されたかのような印象を受けますし、人の死を軽々しく扱ってほしくないという気にもなります。娯楽にも徹しておらず、文学として昇華もしておらず、中途半端なものに仕上がっているのが、この作品だと言えるでしょう。
 死を軽々しく扱ってほしくないと書きましたが、死が軽々しく扱われているのが現在の世の中ではないでしょうか。ゲーム感覚で殺人を犯す者が後を絶ちませんし、今後も増えてゆくきらいがあります。そう思うと、ラフカジオは現在を悪い意味で先取りした人物であり、戦慄すべき存在です。
(2003年07月05日  公開)

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