フランス文学探訪84 ジイド「田園交響楽」2  カトリックと新教

 牧師は新教であるのに対して、ジェルトリュードは、牧師の息子のジャックの勧めに従って生前、カトリックに改宗していました。カトリックと新教の問題はなかなか難しいのですが、ジャックが改宗したのは、父親に対する反発ゆえのことだと思われます。カトリックでは罪悪観が厳しく、それに対する批判がこの小説には込められている気がします。あまりにも罪というものを意識し過ぎたジェルトリュードの悲劇的な最期を描いているからです。新教はあくまで聖書に忠実であろうとします。小説の中にも、「福音書をすっかり探してみたが、戒律や威嚇や禁止はどこにも見出すことはできない」とあります。愛を説くのがキリストであって、罪を前面に押し出しているのではないというわけです。
 またジェルトリュードが盲目のままであったなら、幸せでいられたのに、かえって目が見えてしまったために、この世の真実の姿を知って不幸が訪れてしまったという設定になっていますが、ここのあたりは多分に小説的です。もっとも、野性的だった盲目の少女を教育し、短期間に一人前の女性に成長させるというお話自体が創作的なものです。あくまでこの小説の設定は、キリスト教的な問題を提示し考察するに当たって、作者が考え出したものでしょう。牧師とジェルトリュードの会話の中には、たびたび聖書の言葉が引用されています。「狭き門」と同様、これも宗教小説と言っていいでしょう。
(2003年05月24日 公開)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック