石田三成の実像640 漫画探訪37  山田芳裕氏「へうげもの」における三成5 北野大茶湯

 大河ドラマ「江」で北野大茶湯のことは「江紀行」で取り上げられていたものの、ドラマとしては登場人物たちの口を借りて出てくるだけでした。「へうげもの」では、秀吉が催す北野大茶湯を千利休が批判する言葉を織田長益(有楽斎)に対して吐いていました。本質のない形だけの「わび」の美が流布するのは、何も広まらぬよりたちが悪いと言い、茶の湯には結局、台子(だいす)も何もなく、各人がそれぞれの作法や趣向でもてなせばよく、決まりごとがないというのが極意だとも説きます。それに対して、茶の本質を知らないのが秀吉であり、台子点前を許可制にして茶の湯に格をつけているのが間違いだと利休は批判しています。
 石田三成は古田織部に、正式な台子点前を許されたのは織田長益で8人目であるとの情報を伝え、台子点前を伝授されていない自分も古田も茶の湯ではまだまだだと感想を漏らします。秀吉がやっていることをありたがる傾向のあるという設定の三成ですから、こういう発言をするのも無理ないところですが、利休の茶をわかっていないという捉え方です。古田は三成の言葉に長益が自分より格上の茶人になったことを不満に思いますが、気を取り直し、自分は台子点前に興味はなく、格より名声だとして、北野大茶湯で数寄者ぶりを見せようと息巻いています。
 2人は北野大茶湯に山科で隠棲しているノ貫(へちかん)を呼ぶべく、彼の住んでいるところを訪ねますが、ノ貫は断ります。まず立ったまま口を利くノ貫に対して、三成は「控えよ」「身分をわきまえよ」と権柄づくな言い方をし、あくまで秀吉の要請を断るノ貫に対して、三成は斬ると息巻き、刀を抜きます。ひどく短気な三成の姿が浮かび上がりますが、秀吉の意向に逆らう者に対して三成は毅然とした態度を見せているといったところでしょう。横柄者ぶりが強調されている場面です。その刀を防いだのが古田であり、古田は袴を水溜りに汚してまで膝をついて茶会に出席してくれと頼みますが、ノ貫はその姿にいたく感心して、出席に応じます。
 しかし、三成は帰りの道中、古田のやり方には感心しないと批判します。武人が世捨て人に頭を下げるのは言語道断であり、身分の秩序が亡くなったら、多くの血が流れる下克上の世に戻るというのがその理由です。三成たちが新たな秩序を作り上げたのは事実ですが、この言い方は極端に過ぎます。また秀吉にこの件を逐一報告するとも三成は言いますが、融通性がなくありのままを伝えてしまう三成の姿が示されています。これは武断派大名などとの対立にもつながることになる三成の描き方かもしれません(先を読んでいないので憶測に過ぎませんが)。
 もっとも、北野大茶湯は、身分や国籍を問わず誰でも参加でき、茶器がなければ釜一つ持って来ればよいというのがうたい文句であり、当日は全国各地から大名、公家、町人、農民などさまざまな身分の者が参加し、1500もの茶席が出る盛況ぶりでした。その趣旨を理解していたはずの三成が、「へうげもの」のような態度を取ったかどうかは疑問に感じます。

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