石田三成の実像639 漫画探訪36 山田芳裕氏「へうげもの」における三成4 天下三肩衝
「へうげもの」の中で三成が秀吉によって堺奉行に任じられた時、秀吉に謁見した大友宗麟が「新田」の肩衝を秀吉に贈る手筈になっていると秀吉が述べている場面があり、そのことに関連して、三成が天下三肩衝の話を出していました。そのうちの一つ「初花」は秀吉の手元にあり、これで島井宗室の持っている「楢柴」が手に入れば、信長の念願だった天下三肩衝が揃うことになると三成が述べていました。三肩衝の話は「へうげもの」の第一巻にすでに登場しており、利休が信長を殺して秀吉が天下を取るよう促す時、肩衝が三つ揃えば天下を取ったのも同じだと語っていました。利休の画策はフィクションですが、天下三肩衝の話は事実です。「楢柴」は失われましたが、「初花」と「新田」は2007年に開催された「大徳川展」で展示されたものの、残念ながら私は見ていません。
「へうげもの」では家康上洛の件に関しても、三成は石川の一件により家康が従属するのも時間の問題だと言っていますが、家康の家老であった石川数正が家康のもとを出奔したのが天正13(1585)年11月のことであり、この漫画ではこの前に朝日姫が家康に嫁いでいますから、天正14年5月以降のことであり、時系列がおかしくなっています。
「へうげもの」では九州攻めの際、三成が赤間関で軍勢の検閲を行う場面が出て来ていますが、三成がこの時兵站奉行を務めているのは事実であるものの、こういう描き方はフィクションでしょう。古田織部は求められた軍勢の数を金不足でまかなえず、咄嗟の判断で足利義昭の軍に呼びかけて米を与えるという条件で旗指物を古田のものに作り替えさせて、三成の目をごまかしていました。急遽、手書きの旗指物になったわけですが、手書きの渋さが三成にも分かるだろうと言い抜けます。ここでも堅物の三成が、柔軟な古田にしてやられるという形になっています。
実際、九州攻めの際に秀吉は諸国に命じて30万人分の兵糧などを出させ、この兵糧などは兵庫・尼崎・赤間関に集結させ、三成・大谷吉継・長束正家たちがこれを監督して、各軍団に配分しています。
「へうげもの」では、九州攻めの際に秀吉が発したキリシタン追放令のことも描かれていますが、千利休が高山右近が追放にならないよう棄教を促してくれと古田に頼む場面が出ています。利休はキリスト教に理解を示しており、キリスト教の教えにはわび数寄に通じる清貧が含まれると言っています。大河ドラマ「江」で利休が茶には異国の匂いは似合わないと言っていましたが、浅薄なそういう捉え方に比べると、「へうげもの」の方が茶の湯というものをしっかり理解していると云えます。
古田の妹を妻にしている高山右近ですが、棄教するようにという古田の説得を右近は撥ねつけます。何年も培ってきた南蛮趣味を秀吉の一声で変えられてはかなわない、キリスト教を捨てないのは数寄者としての意地だと答えます。同じく数寄者である古田はこの言葉に理解を示し、自分が持っていた「楢柴」の蓋を右近に渡します。「楢柴」は古田が九州攻めの際、秋月家(島井宗室から強奪していました)から秀吉のもとに渡りましたが、その際、古田が蓋だけニセモノだったことに古田が気づいたものの、それを秀吉に渡さず、自分のものにしていたという展開です。
「へうげもの」では家康上洛の件に関しても、三成は石川の一件により家康が従属するのも時間の問題だと言っていますが、家康の家老であった石川数正が家康のもとを出奔したのが天正13(1585)年11月のことであり、この漫画ではこの前に朝日姫が家康に嫁いでいますから、天正14年5月以降のことであり、時系列がおかしくなっています。
「へうげもの」では九州攻めの際、三成が赤間関で軍勢の検閲を行う場面が出て来ていますが、三成がこの時兵站奉行を務めているのは事実であるものの、こういう描き方はフィクションでしょう。古田織部は求められた軍勢の数を金不足でまかなえず、咄嗟の判断で足利義昭の軍に呼びかけて米を与えるという条件で旗指物を古田のものに作り替えさせて、三成の目をごまかしていました。急遽、手書きの旗指物になったわけですが、手書きの渋さが三成にも分かるだろうと言い抜けます。ここでも堅物の三成が、柔軟な古田にしてやられるという形になっています。
実際、九州攻めの際に秀吉は諸国に命じて30万人分の兵糧などを出させ、この兵糧などは兵庫・尼崎・赤間関に集結させ、三成・大谷吉継・長束正家たちがこれを監督して、各軍団に配分しています。
「へうげもの」では、九州攻めの際に秀吉が発したキリシタン追放令のことも描かれていますが、千利休が高山右近が追放にならないよう棄教を促してくれと古田に頼む場面が出ています。利休はキリスト教に理解を示しており、キリスト教の教えにはわび数寄に通じる清貧が含まれると言っています。大河ドラマ「江」で利休が茶には異国の匂いは似合わないと言っていましたが、浅薄なそういう捉え方に比べると、「へうげもの」の方が茶の湯というものをしっかり理解していると云えます。
古田の妹を妻にしている高山右近ですが、棄教するようにという古田の説得を右近は撥ねつけます。何年も培ってきた南蛮趣味を秀吉の一声で変えられてはかなわない、キリスト教を捨てないのは数寄者としての意地だと答えます。同じく数寄者である古田はこの言葉に理解を示し、自分が持っていた「楢柴」の蓋を右近に渡します。「楢柴」は古田が九州攻めの際、秋月家(島井宗室から強奪していました)から秀吉のもとに渡りましたが、その際、古田が蓋だけニセモノだったことに古田が気づいたものの、それを秀吉に渡さず、自分のものにしていたという展開です。
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