母との面会の前に妹と「すき家」で食事・妹が名を覚えていた柳ヶ瀬近くの伯母の食堂「丸万」

   母との面会の時は、妹と療養病院に近い「すき家」で待ち合わせをして、一緒に昼食を取ってから行くことにしています。21日も牛丼セットを食べてから、コーヒーを飲み、近況を伝え合い、いろいろと話を交わしました。  岐阜の柳ヶ瀬へ行った話もしましたが、柳ヶ瀬付近で伯母が営んでいた食堂の名前を妹は覚えていて、「丸万」だったと言い、確かにそ…
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大河ドラマ探訪520「光る君へ」24 淡路守に決まっていた藤原為時が、越前守への栄転が決まった経緯をめぐって

 「光る君へ」では、除目で淡路守に決まっていた藤原為時(まひろ〔紫式部〕の父)が、漢語ができることを評価され、日本に来て越前に滞在している宋人と交渉するため、越前守への栄転が決まったというふうに描かれており、それはおおむね史実に即したものでした。このことは、拙ブログ記事で前述したように、福嶋昭治氏の講演会「紫式部と源氏物語」の中で、当時…
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石田三成の実像 3676  白峰旬氏「『日向記』収載の黒田孝高書状写について―伊東家軍勢による宮崎城攻略は私戦なの…

 白峰旬氏「『日向記』収載の黒田孝高書状写について―伊東家軍勢による宮崎城攻略は私戦なのか公戦なのかー」の中で、「宮崎城攻略が公戦ではない証左」として、「(慶長 5 年)10 月19 日付小杉丹後守宛長倉兵國書状」も挙げられていますが、その中の「乍去ケ様ニ大錯亂之砌者、自他致才覚、其家之ためニ成事、世上在之儀候間、自然 殿下ニ被企御忠儀…
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