大河ドラマ探訪514「光る君へ」18 疫病に自分たちは罹らないという道隆の描き方への疑問・藤原四兄弟が疫病死し藤原…

「光る君へ」では、藤原兼家の跡を継いだ息子の藤原道隆の独裁ぶりが描かれていました。確かに、娘の定子を強引に一条天皇の中宮にするのも、息子の伊周と隆家を若いにもかかわらず高い位につけていたのも事実です。しかし、疫病がはやっている時に、その対策を怠り、自分たち身分の高い者は疫病にはかからないと言っていたという描き方には疑問を感じました。 …
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石田三成の実像 3666 阿部哲人氏「合戦に至る東北西軍大名の動向ー上杉景勝を中心に」8 景勝の上洛5 景勝と家康…

 阿部哲人氏の「合戦に至る東北西軍大名の動向ー上杉景勝を中心に」(太田浩司氏編『石田三成』所載)の中で、七将による反石田三成訴訟騒動(通説では石田三成襲撃事件)が起こった慶長4年閏3月頃にあったとされる景勝と家康の婚姻問題について、光成準治氏の見解が次のように記されています。  「景勝には家康と縁戚関係を結ぶ動きがあり、景勝は秀吉が大…
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京都探訪478 南禅寺の境内と方丈拝観3 それぞれ違った趣きの庭・寺を復興させた金地院崇伝・関ヶ原の戦いの前は安国…

 南禅寺の本坊には方丈庭園の他、方丈の回りを取り囲む形で、如心庭(小方丈庭園)、六道庭、龍吟庭、還源庭や中庭などがあり、それぞれ違った趣きがあります。  戦国時代に荒廃していた南禅寺を復興させたのは、家康の側近の金地院崇伝であったと、方丈の映像コーナーでも紹介されていました。確かにその通りですが、関ヶ原の戦いの前には、数ヶ月な…
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